1. 球団マスコットが日本に登場するまで〜草創期・1966-1979〜
球団マスコット物語は、各マスコットさんの正確なデビュー日などの考察を交えつつ、デビュー時のエピソードを振り返る連載企画です。
第1回は、1960年代後半の「ペットマーク」としてのマスコット登場から、メジャーリーグに影響を受けてグラウンドにマスコットが登場する1979年ごろまでの「草創期」を取り上げます。
イラストとグラウンド登場には時差がある
プロ野球は、1936年の日本職業野球連盟創立から拡大・発展を続けていた。1960年代後半になるとファン層の拡大が叫ばれたことで、子どもや女性にも親しみやすいキャラクターを球団のロゴマークに設定する球団が増えた。この当時のマスコットキャラクターは、グラウンドに登場するのではなく、「ペットマーク」や「マスコットマーク」という形だった。
ほとんどが人間の男の子をベースにしていたのが特徴で、少年たちの人気を取り込もうとしていたことが窺える。具体的には、1964年に読売ジャイアンツの初代マスコットマークとして誕生した「ミスタージャイアンツ」や、1969年登場のロッテオリオンズ「バブル坊や」、1975年登場の広島東洋カープ「カープ坊や」などが挙げられる。現在多くの球団が採用している"親しみやすい動物"のペットマークは、ライオンズ(西鉄→福岡野球)が1970年〜72年、76年〜78年にユニフォームで使用したライオンがモチーフのキャラクターに限られた。(綱島2013.)(※1)
最初のマスコットは鉄腕アトム?
ペットマークをキャラクター化した事例で外せないのは、2つの手塚治虫作品であった。
「アトムズ」(サンケイアトムズ→アトムズ→ヤクルトアトムズ)は、1966年から1973年まで「鉄腕アトム」をペットマークにしていた。アニメがサンケイグループのフジテレビで放送されていたことや、手塚が球団後援会の副会長であったことがきっかけでアトムがそのままキャラクターとして採用された。
神宮球場でアトムやウランが応援している姿も写真が残っており、ペットマークがいわゆる"着ぐるみ"として初めて登場した事例と言える。既成の版権を既存の設定で活用していたからか、アトムを最初の球団マスコットであるとする既往文献は見られない。
球界初のペットマークとしてのマスコットはレオ
1978年に西武ライオンズが発表したレオが、のちに初めて球団マスコットとしてグラウンドで活動するペットマークとなった。(※2)
西武グループが福岡のクラウンライターライオンズを買収する際、グループ総帥・堤義明はチーム名「ライオンズ」の変更を検討していた。堤がライオンという生物の顔立ちにさもしさを覚えていたというためだ。ライオンを残すには、さもしいライオンを美しいライオンに描き上げた手塚治虫の「ジャングル大帝レオ」の顔が必要だと考え、堤は手塚にペットマーク利用の許諾を依頼。快諾されたことでレオマークが誕生したのだ。なお、手塚の承諾が得られなかった場合、堤はチーム名を「ライオンズ」とは全く異なるものに変えようとしていたという。(針木1981:139)
1978年12月5日、西武グループは、「ジャングル大帝レオ」のライオンをモチーフに、手塚が書き下ろした新ペットマークを発表した。1979年後半ごろから徐々にグラウンドにも登場し、1980年ごろから本格的に活動したようだ。(詳しくは第2話で紹介する)

米・大リーグでのマスコット
ここまでの話は、NPBの「ペットマーク」としてのキャラクターを対象にしており、彼らは実際にグラウンドには登場していない。本項では、NPBよりも10年以上早い1964年からグラウンドにマスコットが登場していたメジャーリーグでの事例を紹介し、マスコット文化が日本に輸入されるまでの経緯を簡単に振り返る。
MLB初のマスコット〜Mr.Mets〜
メジャーリーグ第1号となるマスコットは、1962年に創設したニューヨーク・メッツによるものだ。「Mr.Mets」は、球団創設2年目の1963年にゲームプログラムの表紙でキャラクター・マークとして登場した。翌年、1964年のスタジアムの完成に合わせてグラウンドでもデビューし、現在まで活動を続けている。(綱島2009:20)
島野さんが魅せられたマスコット〜サンディエゴ・チキン〜
サンディエゴのFM局「KGB」が、1974年に同局のテレビCM向けマスコットとして制作した「サンディエゴ・チキン」は後に「フェイマス・チキン」と称される人気者になった。フリーランスのマスコットで、当初はボランティアとしてパドレスの試合を盛り上げたという。
選手や審判を巻き込んだ寸劇や、奔放な振る舞いは、このマスコットによって大リーグに持ち込まれたとされる。
後にブレービーを演じ、日本球界における球団マスコットの地位を確立させた島野修さんもこのマスコットに魅せられた。球団からのマスコットになってほしいという依頼を断りに西宮球場に出向いた際に、球団職員が大リーグでのマスコットの活躍をまとめた映像を見せたという。島野はチキンが歓声を受ける姿に釘付けになり、翻意した。(読売新聞阪神支局2019.)
大リーグの歴史を変えたマスコットは、日本球界の歴史をも変える存在となったのだ。ブレービーについては、第2話で取り上げる。
初めて来日した大リーグのマスコット〜フィリー・ファナティック〜
フィリー・ファナティックは、フィラデルフィア・フィリーズのマスコットだ。大リーグのマスコットとして一番最初に名前があがることも多い、超人気マスコットである。日本では、広島・スラィリーが同一企業のデザインで、ファナティックの弟にあたることがよく知られている。
デビューが1978年と決して早くはないのは、サンディエゴ・チキンに影響を受けて制作されたマスコットであるためだ。チキンが大リーグに持ち込んだ自由で奔放な手法は、ファナティックによって確立された。
2018年5月に神宮球場でつば九郎・ドアラと交流したことも記憶に新しいものの、初来日はデビュー翌年の1979年秋の日米野球だった。
フィリー・ファナティックの来日が注目を集めたことで、マスコットを導入しようと真剣に検討する球団が増えた(読売新聞 1992.03.28 夕刊)。第2回では、1980年代前半にグラウンドに登場したマスコットを紹介する。
まとめ年表
- 1963 ニューヨーク・メッツ「Mr.Mets」がデビュー
- 1966〜1973 サンケイが鉄腕アトムをペットマークに
- 1974 サンディエゴ・チキンが登場
- 1978 フィリーファナティックが登場
- 1978.12.8 レオがペットマークとして誕生
注釈
※1 「親しみやすい」という条件を除けば、球団創設以来ほとんど変わらない阪神の球団旗なども動物がモチーフとなっている。
※2 後からグラウンドに登場した事例としては、1976年〜1996年の近鉄バファローズのペットマークで、1994年ごろからグラウンドでの姿が記録されている「バッファくん」や、1969年〜1991年のロッテオリオンズのペットマークであり、2018年にグラウンドに登場できる形で復刻された「バブル坊や」などがある。
シリーズ
1. 球団マスコットが日本に登場するまで〜草創期・1966-1979〜
2.グラウンドにマスコットが登場〜黎明期・1979-1984〜
3.伝統球団にもマスコットが登場〜発芽期・1985-1992〜
4.12球団のマスコットが出揃う〜発育期・1992-1997〜
5.各球団によるファンサービスの拡大〜成長期・1998-2003〜
6.北海道移転の快進撃と球界再編〜変革期・2004-2006〜
7.第一次マスコット”バズり”時代〜革命期・2007-2012〜
8.球団マスコットは新しい時代へ~発展期・2013-~
参考文献
- 綱島理友監修 2009.「日本のプロ球技チームのマスコットが大集合!スポーツ・マスコット図鑑」PHP研究所.
- 綱島理友2013.「日本プロ野球ユニフォーム大図鑑」ベースボール・マガジン社.
- 針木康雄 1981.『堤義明・大いなる発想の秘密 : かくて、野球もまたビジネスとなった』こう書房.
- ベースボール・マガジン社 2008.週刊ベースボール 63(43):11-33.(2008年9月22日号【特集】かわいくって、いやされる マスコット大集合!)
- ベースボール・マガジン社 2021.週刊ベースボール 76(38):3-42.(2021年8月16日&23日合併号【特集】いつもそばにはマスコット 球界の盛り上げ役 マスコット大集合!!)
- 読売新聞 1978.12.06 朝刊 「ジャングル大帝レオがライオンズのシンボルに」(こだま):17頁.
- 読売新聞 1992.03.28 夕刊 「さあ僕らと応援 プロ野球・マスコット列伝 ファン待つ“名優”たち :2頁
- 読売新聞阪神支局 2019.『阪急ブレーブス 勇者たちの記憶』:261-295.






